2011年03月10日

北陸「ユニークフェイス・見た目問題」交流会

富山県で交流会が予定されています。

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≪第1回 北陸「ユニークフェイス・見た目問題」交流会(北陸じゃない方も参加OKです)≫

◆日  時 : 2011年4月17日(日) 
       13時30分開始〜16時終了予定

◆会  場 : 富山県高岡市
       JR高岡駅から徒歩5分程度の公共施設です。
       ご連絡頂いた方に詳細をお知らせ致します。

◆参加条件 : 顔に傷・疾患があるなどのユニークフェイス問題、見た目問題に
       関心のある方であれば、当事者であるなしは問いません。
        ご家族、支援者、研究者のかたの参加も歓迎します。
       当日の飛び込み参加はご遠慮願います。

◆参 加 費 :  一家族500円(貸会議室使用料として)

◆主  催 : Smiley Tomorrow
        河除 静香(かわよけ しずか)

◆お問い合わせ : toyonyan31(あっとまーく)gmail.com

         もしくはmixi内から直接メッセージを送信していただいても
         結構です。
         http://mixi.jp/show_friend.pl?id=31270075
         もちろん、下のイベント参加ボタンをポチっと押していただくのでも結構です。

◆その他 : テーマはとくにありません。
       自分の気持ちを自由に話す場にしたいと思います。

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posted by _tomohiro_ at 05:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 痣・血管腫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

自分を愛するということ

携帯の中のメモ帳を確認していたら2011/1/16付けのメモが出てきました。
たぶんご近所の食堂でお昼ご飯を食べながらメモしたものだと思います。
ここにもUPしてないようだったのでUPりました。




【自分を愛するということ】 2011/1/16付のメモから



私は、自分以外の人のために生きることができるということは素晴らしいことだと思っていますし、また、そうありたいものだなぁと常々思っています。

しかし、それと同時に一つ欠かしてはいけないものがあるとも考えています。
それは、そういう皆のために頑張ると言うことや、利他の活動を展開するということ自体が、自分自身にとっても幸福と感じるものであるべきだということです。


世の中には、自己犠牲という考えもあり、自分の利益や幸福を顧みず、誰かの為に頑張って骨身を砕いて生きると言うことは、尊いことだという考え方があります。私はこの考えに賛同もし、敬意を表しつつ、これとは違う生き方を提唱します。


それは、自分を愛し高める生き方を実践しつつ、同時にそれ自体が他の人の為になる生き方です。
また、反対の言い方をすれば、他の人に喜ばれる生き方が、そのまま自分の人生の経験値を上げ、強く大きくし、伸ばす生き方であり、同時に自分自身の喜びとなる生き方と言ってもいい良いと思います。

この考え方が前述した自己犠牲と異なるところは、そこにもう一つ新たな観点が加わっているところです。

それは自己愛です。

自己愛と言われると、何か利己的で、卑しいことかのように聞こえますが、実際の所、自分自身の境遇や個性を愛し受け入れることは、とても大事なことであるのです。自分自身を受け入れる、自己の存在を良きものとして肯定する、という所にまずは立ってみては如何ですかと問うているのです。

これは単なる禅問答ではありません。言葉そのままです。言葉そのままのことを心で練り込み、実践できる所までいけるんです。


真に自分を愛せると言うことは、自分を自分たらしめている自分を取り巻く環境に感謝でき、縁ある人々に感謝でき、遡れば自分をこの世に産みだしてくれた両親に感謝できるということと直結するのです。自分を支えてくださっている周りのものに『ありがとう』という感謝の気持ちが沸いたとき、自然に出てくるのが、『お返しをしたい』という気持ちではないでしょうか。
それは愛と呼ばれるもものの一つの形であろうと思います。


私がここで語る自己愛とは、自分を守りたいとか、自分さえ良ければ他人のことなどどうでもいいと言うようなものではありません。その理由は、そういう利己心のみで生きているとき、人は必ずしも幸福感があるとはいえないと思うからです。寧ろ、その正反対側、対極にあるものこそ本当の自己愛であると思うのです。


私は、正しい自己愛というものには条件があると考えています。それは、自分を愛することが他者の利益を犠牲にしたり、他の者の不幸の上に成り立ってはいけないということです。
これは正しい自己愛を発揮するための注意すべき事柄ではないかと思います。
その理由は、ここで言っている正しい自己愛とはどういうものかというとに繋がっていて、つまるところ自分と、さらに自分に関わる他人をも幸福にしたいという考え方であるからです。それ故に他人の不幸を踏み台にして自らの真の幸福は成り立たないと言っています。


また、不幸を胸に抱きつつ、自分の人生を呪い、人様の境遇を羨みながら、周りの人を愛することは中々できるものではありません。
そういう意味では、自己愛だけでなく、自己犠牲に関しても全く同じくことが言えると思います。
しかし、自己犠牲を発揮することが自分自身の幸福感となるような人は、ある意味宗教的な悟りの持ち主に限られると思うので、一般論に当てはめるのは難いのではないかと思います。


自分を愛すると言うことは、どういうことかについて自分の考えを述べてみました。
私が今までの個人的経験を振り返って現段階で感じていることは、苦しい中を今まで頑張ってきた自分を許し、受け容れ難き人生を受け入れ、自分自身を受け入れ愛することができなければ、本当の意味で常に周りの人々を愛し続けるということは、幸福になってもらいたいと思い続けるということは難しいことなのだな、と言うことです。






posted by _tomohiro_ at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 痣・血管腫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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